大塚芳満経歴PROFILE
大塚芳満プロフィール

大塚芳満は、株式会社大塚製薬工場の創業者である父大塚武三郎氏(1891-1970)の三男。
旧制撫養中学校(現鳴門高校)から法政大学経済学部へ進み、卒業後、大塚製薬工場に入社。
外国部長として精力的に世界中を駆け巡り、日本では初めて画期的なプラスチック容器入り輸液の導入に成功した。
これを機に自社製品のプラスチック容器入りの輸液の開発、質向上に情熱を注ぎ「輸液のリーディングカンパニー」としての名声を不動にする一方、長兄正士氏との二人三脚で大塚グループ各社の育成に取り組み、今日の“O t s u k a”の基礎を築き上げた。
大塚製薬工場の社長、会長を歴任する傍ら、本県においては徳島県製薬協会会長として本県製薬業界の発展に、徳島県体育協会会長として本県スポーツの振興と競技力の向上に尽力。
また、徳島県教育委員長、徳島県商工会議所連合会副会長、鳴門商工会議所会頭など数々の要職をこなし、本県の経済、教育、文化など幅広い分野で貢献。平成2(1990)年、薬事功労として藍綬褒章受章。
㈱大塚製薬工場 大塚化学㈱ 大塚倉庫㈱ 大鵬薬品工業㈱ 大塚製薬㈱
大塚家具工業㈱ 大塚包装工業㈱ タイ大塚製薬㈱
PT大塚インドネシアアラブ大塚製薬㈱ エジプト大塚製薬㈱ 等の役員を歴任する。
年号 | 内容 | ||
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1924 | 大正13年 | 09月20日 | 徳島県鳴門市里浦町に生まれる |
1976 | 昭和51年 | 05月11日 | 徳島県製薬協会会長に就任 |
1978 | 昭和53年 | 04月01日 | 大阪医薬品協会理事に就任 |
1980 | 昭和55年 | 06月05日 | 日本製薬団体連合会評議員・監事に就任 |
1981 | 昭和56年 | 02月28日 | 中国大塚製薬有限公司董事に就任 |
1981 | 昭和56年 | 03月31日 | 徳島県工業用水協議会会長に就任 |
1984 | 昭和59年 | 03月23日 | 鳴門経済倶楽部理事長に就任 |
1985 | 昭和60年 | 05月01日 | 県政懇話会委員に就任 |
1985 | 昭和60年 | 05月29日 | 四国経済連合会副会長に就任 |
1986 | 昭和61年 | 07月23日 | 徳島県教育委員長に就任 |
1987 | 昭和62年 | 10月01日 | 国有財産地方審議会委員に就任 |
1988 | 昭和63年 | 06月23日 | 鳴門商工会議所会頭に就任 |
1988 | 昭和63年 | 10月01日 | 鳴門教育大学参与に就任 |
1989 | 平成元年 | 06月21日 | 徳島県商工会議所連合会理事に就任 |
1995 | 平成07年 | 03月30日 | 日本製薬工業協会理事に就任 |
1995 | 平成07年 | 06月01日 | 徳島県商工会議所連合会副会長に就任 |
1999 | 平成11年 | 08月04日 | 死去する |
勲章・褒章
年号 | 内容 | ||
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1981 | 昭和56年 | 05月03日 | 徳島県知事表彰(薬事功労として) |
1985 | 昭和60年 | 10月18日 | 厚生大臣表彰(薬事功労として) |
1990 | 平成02年 | 05月15日 | 藍綬褒章受章(薬事功労として) |
大塚芳満アルバム
トナカイマークの由来

トナカイの角をあしらったロゴマークは、大塚芳満氏が旧大塚家具工業株式会社の社長時代に自ら発案、デザインした。クリスマスの前夜、サンタクロースのソリを引くトナカイは、堂々たる躯幹(くかん)と威厳に満ちた角に似合わず性格は温厚。
雪原を疾走するのに適した身体能力と、子どもたちに夢と幸せを運んでくる動物として昔から人々の敬愛の念を集めてきた。
勉学とスポーツに秀でた若者を支援する当財団は、故人の遺志を守り、まさにトナカイのような存在でありたいと願っている。